M&A(企業の合併や買収)において企業価値を評価する方法の一つに、DCF(ディスカウントキャッシュフロー)法があります。この方法は、企業が将来生み出す予定のキャッシュフロー(お金の流れ)を現在価値に割り戻すことで、その企業の価値を計算します。
割り戻しに使用されるのが「WACC(ウェイテッド・アベレージ・コスト・オブ・キャピタル:加重平均資本コスト)」という割引率です。WACCは、企業が支払う資金調達コストの平均値です。株式や借入金にかかるコストを考慮して計算され、この数値が企業価値評価に大きな影響を与えます。
DCF法はM&Aにおける企業価値評価に不可欠な方法であり、その中心にあるWACCは非常に重要です。WACCの計算方法やその影響を正しく理解することで、企業価値をより適切に評価できるようになります。
そこで今回は、WACCについて初心者にもわかりやすく解説いたします。
将来キャッシュフローと資金調達コストの基本
企業の価値を評価する前に、まずは「将来のお金の価値」と「今のお金の価値」の違いについて考えてみましょう。
例えば、あなたに選択肢が与えられたとします。今すぐ100万円をもらう権利か、1年後に100万円をもらう権利か、どちらを選びますか? 多くの人は「今すぐ100万円」を選ぶでしょう。
次に、今すぐ100万円をもらう権利を100万円で買うか、1年後に100万円もらえる権利を95万円で買うかという選択肢がある場合を考えてみましょう。このケースでは、多くの人は迷うかもしれません。これは将来のお金の価値が今のお金より低いと考えられるからです。
将来の収入を今の価値に「割り引く」ことで、その価値を「割引現在価値」として計算します。この割引率によって、将来のお金が今どれくらいの価値を持つのかがわかります。
GDPの計算にもこうした「社会的割引率」が活用されています。
この割引率を適切に定めることが、企業評価におけるDCF法やWACC(加重平均資本コスト)の計算にとって非常に重要です。企業が将来生み出すキャッシュフローを割引率で現在価値に換算することで、その企業の価値を計算することができます。
投資リスクと割引率の関係
投資の際にはリスクを考慮して割引率を決めることが大切です。
例えば、1年後に100万円をもらえる権利を売る2人がいるとします。1人は信頼できる上場企業の社長で、もう1人は素性が不明な人。多くの人は信頼できる社長から権利を購入するでしょう。
では、もし不明な人がその権利を30万円で売っていたら、選択は難しくなるかもしれません。これは、投資リスクが高いほど高いリターンが求められるからです。リスクが低い社長は1年後の100万円を95万円で販売できますが、リスクが高い人は30万円まで割り引かなければならないことがあります。
資本コストと割引率
投資家が期待するリターンを「資本コスト」と言います。そして、この資本コストはDCF法における割引率に他なりません。「割引率=期待リターン」と考えることができます。
これは、企業に資金を提供する人々が「1年後にこれだけのリターンがないと割に合わない」と考える期待リターンが、WACCの正体です。
DCF法と企業価値の算出
WACCを使用して将来のキャッシュフローを割り引くと、1年後、2年後という具体的な時点でのキャッシュフローの割引現在価値を算出することができます。DCF法における企業価値は、これらのキャッシュフローの割引現在価値を合計することで計算されます。
DCF法においては、「いつまでのキャッシュフローを計算するのか」という疑問がありますが、答えは「永遠に」です。基本的に毎年同じ額のキャッシュフローを想定し、年が進むにつれて割引現在価値は小さくなっていきます。最終的には限りなく0円に近づくため、永遠にキャッシュフローを合算しても、企業価値が無限大になることはありません。
資本コストの構成とWACCの計算方法
前章で説明した通り、資本コストは企業に資金を提供する人々が求める期待リターンを指します。しかし、この資本コストは、実際には2種類に分けられます。これは、企業に資金を提供する人々が大きく2種類に分類されるためです。
資本提供者の種類
1つ目は「株主」、つまり企業に資本を提供している株式投資家です。彼らは株式を通じて企業に資金を提供し、そのリターンとして配当や株価上昇を期待します。この場合のコストを「株主資本コスト」と言います。
2つ目は「債権者」、つまり企業に貸し付けを行っている金融機関や債券投資家です。彼らは企業に対して融資や債券購入を通じて資金を提供し、そのリターンとして利息を得ます。この場合のコストを「負債資本コスト」と言います。
資本調達の選択肢と資本コストの種類
企業が外部から資金を調達する際に考えられる主な方法は2つあります。
1つ目は株式を発行して株主から資金を集める方法、2つ目は金融機関から借り入れを行う方法です。
株式発行による資金調達に求められる資本コストを「株主資本コスト」と言い、株主への配当が主な負担です。一方、金融機関からの借入に求められる資本コストを「負債コスト」と言い、借入金にかかる利息が主な負担です。
ほとんどの企業は株主と金融機関の両方から資金を調達しているため、資本コストは株主資本コストと負債コストが混じり合った状態で構成されています。
資本コストが混じり合う理由
企業が借入をする際、返済の約定や担保の提供が必要とされ、倒産時には財産の分配を株主に先んじて受けることができます。株主は業績が悪化した場合、配当が減少するだけでなく、倒産時には債務返済後の残余財産を出資比率に応じて受け取ります。
このため、負債コストと比べて株主資本コストのリスクは高く、一般的に負債コストは株主資本コストよりも低くなります。
ただし、資本コストを下げるために一方的に負債コストに頼ることも良くありません。自己資本に比べて有利子負債が増加し過ぎると、自己資本比率が低下し、倒産リスクが上昇することで、借入金利率も上昇する可能性があります。
WACC(加重平均資本コスト)とは何か
企業の資本コストは、株主資本コストと負債コストから成り立っています。これらは投資リスクが異なるため、それぞれの期待リターンも異なります。そこで、これら2種類の資本コストを組み合わせた状態の資本コストを求めるために、加重平均を行います。この加重平均した値が「WACC(加重平均資本コスト)」です。
WACCの計算式
WACCは次の式で求められます。
ここで、
- rE は株主資本コスト
- rD は負債コスト(金利)
- E は株主資本の時価総額
- D は負債の時価総額
- Tc は実効税率
をそれぞれ表します。この式は株主資本コストと負債コストをそれぞれの市場価値で加重平均していることを意味します。
税の考慮
負債コストに実効税率が含まれるのは、支払利息の増加によって節税効果が生じるためです。企業が支払う利息は、税引き前の費用として扱われるため、実際に支払う利息額よりも実質的なコストが低くなります。この影響を排除するために、実効税率を用いて計算します。
株主資本コスト(rE)の計算方法
WACCを算出する上で重要な要素の一つが株主資本コスト(rE)です。しかし、株主資本コストには固定された数値がないため、これをどのように計算するかがポイントとなります。
株主が求める期待リターンは株主ごとに異なるため、株主資本コストは次の式で求められます。
ここで、
- rF はリスクフリー商品の利回り(例:国債などリスクの少ない投資のリターン)
- β は株式のベータ値(株式が市場全体に対してどれだけ変動しやすいかを示す値)
- rM は株式市場全体の資本コスト
を表します。この式は少し複雑に見えますが、以下の3つのステップで株主資本コストを求めます。
- 株式市場全体の資本コスト(rM)を求める。
- 対象企業の株式が市場全体に比べてどれくらいリスキーか(β)を求める。
- 市場全体のリスクと比較してどれだけ資本コストを増やすかを計算する。
株主資本コストは企業のリスクを反映する数値であり、WACCを算出する上で重要な役割を果たします。このコストを適切に計算することで、企業の健全な資金調達と投資決定に役立ちます。
株主資本コストの算出方法
株主資本コストの求め方をより詳しく見ていきましょう。
1. 株式市場全体の資本コストの算出
まず、株式市場全体の資本コスト((rM))の算出から始めます。(rM) は、TOPIX(東証株価指数)の長期変動を分析して推計します。通常は時間と専門知識が必要なため、経済調査会社に依頼して算出するのが一般的です。
次に、(rF) とはリスクのない商品の利回りを指します。多くの場合、10年物国債の利回りが利用されます。
株主資本コストの式の後半部分、(rM – rF) は、株式市場全体の利回りから無リスクで得られる利回りを差し引いた、純粋な株式市場の資本コストを表します。
2. 企業のリスク度の計算
TOPIXが1%下落したときに、対象企業の株価が2%下落すれば、その企業は市場平均のリスクの2倍とされます。このリスク度の倍率を表す数値がベータ値((\beta))です。非上場企業の場合は、同業種の上場企業のベータ値を参考にして算出します。
3. 資本コストの増加
次に、2で求めた倍率((\beta))に基づいて資本コストを増やします。具体的には、リスクフリーの利回り(10年物国債の利回り)(rF) に (\beta \times (rM – rF)) を足します。これにより、株主資本コスト (rE = rF + \beta \times (rM – rF)) を求めることができます。
なお、この計算式は「CAPM(資本資産価格モデル)」と呼ばれます。
WACCを用いたDCF法による企業価値算出手順
では、実際にWACCを使ってどのように企業価値を算出していくのでしょうか?
手順1: フリーキャッシュフローの見積もり
まず、事業計画書を作成し、今後3~5年間のフリーキャッシュフロー(FCF)を見積もります。
FCFとは、事業活動から得られる将来のキャッシュフローのことを指します。このFCFは、営業活動からのキャッシュフローから投資活動にかかるキャッシュフローを引いた値で算出します。式は以下のようになります。
手順2: WACCの算出と割引率の決定
次に、WACCを算出し、割引率を決定します。非上場企業を評価する際には、上場企業に比べて投資リスクが高いため、資本コストにサイズプレミアム(通常3~10%)を加算します。
手順3: キャッシュフローの割引計算
計画最終年度以降の平均的なキャッシュフローを算出し、事業計画書に記載された3~5年間のFCFとそれ以降のFCFをWACCで割り引いて合計します。計算式は以下の通りです。
株価の算出
DCF法による企業価値算出が完了したら、非事業資産を加算し、有利子負債を控除します。その後、発行済み株式総数で割って1株当たりの株価を算出します。
まとめ WACC
WACCとDCF法は、企業価値を算出する際に非常に重要な概念です。
これらを理解し適用することで、M&Aなどの財務決定において正確な企業価値の評価が可能となります。ただし、市場での取引価格とは異なるため、この点には注意が必要です。