標準的な経済学の考え方では、他人の状態(well-being, ウェルビーイング)は自分の効用に影響をもたらさないと仮定されています。
しかし、実際は、他人と比較しては一喜一憂してしまいますよね。報酬などの開示制度が巷間注目されるのは、そのような人間の性にも起因しています。
幸福度は心理学的にさまざまな点から検討されていますが、所得と幸せの関係についての調査も行われています。
経済学はもともと幸福を追求する学問とも言われ、経済学は社会的厚生を高めることを目標としています。
幸福感に関する研究は、従来から経済学や心理学において数多く行われてきました。
ギリシャの哲学者アリストテレスは、幸福を人生の究極の目標ととらえていましたし、最近ではフランスのサルコジ元大統領が設置した委員会(CMEPSP)は、幸福度計測指標 についての報告書を出すなど、近年では幸福感の測定に力を入れる国も出てきています。
そこで今回は、所得と幸せ、お金と幸せ、お金とウェルビーイングについて解説いたします。
イースタリン・パラドックス|お金で幸せにはなれない
1970年前後から、所得水準と幸福度の値が必ずしも相関しないことが指摘されてきました。
日本においても、1958 年から 2010 年までの間、1 人あたりの実質 GDPは約 8 倍になっていますが、生活満足度(幸福度)はほとんど変化が見られていません。
この GDP と満足度(幸福度)の乖離は、「幸福のパラドクス」と言われるもので、アメリカの経済学者であるリチャード・イースタリンが提唱したことから「イースタリン・パラドクス」とも言われています。
イースタリンによると、人々は自分の所得が絶対的に増加しても、他の人と比較したときの相対的な位置づけが上昇していなければ幸福度が上昇するわけではないようです。
また主観的幸福感の度合いを年齢別グラフにすると、中年期に落ち込む「U字型曲線」を描き、35〜49歳で主観的幸福感は下がることが分ったようです。
とはいえ、幸福感が高くないとお金が貯まらないという研究報告もあり、幸せになるということは思っている以上に難しいのかもしれません。
他人との比較で不幸にも幸福にもなる|ウェルビーイング
共和制ローマの政治家マルクス・トゥッリウス・キケロが『弁論家について』の中で、嫉妬心を、あらゆる感情の中でも殊に激しい感情であると紹介しています。人間が他人のことを気にしているのかがわかることでしょう。
シェイクスピアも、嫉妬のあまり、妻を自らの手で扼殺したオセローは、すべてが、イアーゴーの奸計であったと悟り自殺する話である「オセロー」の中で嫉妬をテーマに扱っています。
標準的な経済学の考え方では、人間の効用は自分の消費水準などにのみ依存し、自分と直接関係のない他人の消費水準は自分の効用に影響をもたらさないと仮定されます。
しかし、最近はSNSなどを通して、自分と関係ない人の消費を見ることができてしまうため、幸福感が高まりづらい世界になってきているのかもしれません。
相対的な視点は、自分が優位であれば幸福感はある一定まで高まりますが、そうでない場合は自分が不幸になるばかりのようです。