太平洋戦争時の日本の財政: 日本はどのくらい戦争にお金を使ったのか?

こんにちは!

戦争については様々な解釈が存在していますが、そのほとんどが政治的な視点か軍事力によるものであり、経済的な視点での議論は多くないように思われます。

しかし、歴史を振り返ると、戦争と経済は切っても切れない関係にあり、経済力は戦争遂行能力そのものであると言えるのが現実です。経済の観点から太平洋戦争を考えることで、どのような情報が明らかになるのでしょうか。

真珠湾攻撃から80年以上が経過しました。では、なぜ日本は過酷な戦争に踏み切ったのでしょうか。これには歴史的背景がもちろん存在します。ここでは、戦争の正当性を問うのではなく、日本がどのようにして太平洋戦争を実行したのか、そして巨額の軍事費をどのように捻出したのかを探りたいと思います。

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戦争にかかる巨額の費用とその背後にある経済的要因

戦争には多大な費用がかかることは広く認識されていますが、その具体的な金額についてはあまり知られていないことが多いでしょう。

有事になると、事態は大きく変化します。現代では大国同士による全面戦争は稀ですが、太平洋戦争以前には、日本を含む各国が大規模な戦争を頻繁に経験しました。大規模な戦争においては、通常の平時に比べて膨大な経費が必要です。

比較的経済的だった日清戦争と日露戦争

明治維新以降、日本は日清戦争、日露戦争、そして太平洋戦争という3つの大規模な戦争を経験しました。これらの戦争において、どれほどの経費がかかったのでしょうか。

明治維新後、日本にとって初の大規模な戦争である日清戦争の戦費は、当時の通貨で約2億3000万円でした。そして、初の近代戦争である日露戦争の戦費は約18億3000万円でした。

当時の通貨価値と現在のものを比較することは難しいですが、これらの金額を現代に置き換えると、日清戦争で約85兆円、日露戦争で約300兆円に相当すると考えられます。現在の国家予算は約100兆円ですので、これらの金額はその桁違いに大きいことがわかります。

太平洋戦争の巨額な戦費とその謎

太平洋戦争(日中戦争を含む)の正確な戦費は分かりにくいですが、その金額は膨大であることは間違いないでしょう。

戦争中でも、日本政府は毎年の予算を計画し、記録を残していました。しかし、金額が不明瞭な理由が主に2つあります。

第一に、軍部が占領地域で軍票や現地通貨を乱発し、これを資金として利用したことです。これにより、戦費の一部が記録に残らず、正確な金額が分かりません。

第二に、太平洋戦争は日本の経済力を遥かに超える規模の戦争であり、激しい財政インフレを引き起こしました。戦争が進行するにつれて、日本円の価値は急激に低下しました。このため、戦後の記録においても、戦費の実態が不透明なままとなりました。

戦争中は物価統制が行われたため、インフレの影響はあまり表面化しませんでしたが、戦後、準ハイパーインフレとして顕在化しました。このインフレ率を考慮しながら、戦費の実態を把握する必要があります。

また、日本軍は占領地域において独自の現地通貨や軍票を発行し、これを利用して資金を調達しました。これにより、占領地域の経済は破壊され、巨大なインフレが発生しました。しかし、このインフレの実態については詳しくは分かっていません。

結局、太平洋戦争の戦費の正確な金額は不明ですが、名目上の戦費総額は約7600億円でした。これを日中戦争開戦時のGDP(約228億円)と比較すると、GDP比率は驚異の33倍、国家予算に対する比率では280倍にも達し、膨大な金額が1つの戦争に投じられたことが示されます。

この戦争費用は主に日本銀行による国債引き受けで賄われました。これは現代の量的緩和政策と共通点があり、日本銀行が無制限に通貨を発行した結果、激しいインフレが発生しました。

戦費負担とその背後にある複雑な要因

戦争に伴う費用は膨大で、その実態は複雑です。当時の国内のインフレ率を考慮し、さらに現地のインフレ率を国内の1.5倍と仮定した場合、実際の戦費総額はおよそ2000億円になります。もし、この数字が正しいと仮定すると、GDPとの比率は8.8倍、国家予算との比率は74倍になります。

先ほどの比率に比べればかなり小さくなりましたが、それでも途方もない金額です。現在の価値に換算すると、4400兆円もの費用が投じられたことになります。

これらの戦費負担は、最終的に国民から財産を強制徴収する形で補填されました。税率の高い人々は資産の9割を徴収され、富裕層の多くはほとんどの財産を失いました。

さらに、予算額は1937(昭和12)年度の約20億円から1944(昭和19)年度には約735億円に増加しました。その資金調達は税収ではなく、ほとんどが公債に依存していました。この公債の発行には、通常は将来の税収を担保に議会の承認が必要ですが、戦費調達においてはこれが省略されました。

日本軍は占領地域に国策金融機関を設立し、現地通貨や軍票を乱発して資金を調達しました。しかし、具体的な軍事費の必要額は不透明なままです。

これら巨額の国債は、日銀による引受けによって処理されました。しかし、これによりインフレが発生し、国債の民間への引受けも促進されました。1938(昭和13)年4月には、国民貯蓄奨励局が設立され、地方には国民貯蓄奨励支局が設置され、内務省の管轄下の市町村機関がこれに協力しました。

つまり、巨額の国債は日銀の引受けと国民の貯蓄を通じて、金融機関を介して消化されました。当然ながら国民も直接国債を購入することがありました。

戦後の経済混乱と財源調達の難題

戦後、日本はハイパーインフレと預金封鎖という経済的な困難に直面しました。しかし、これには複雑な背景があります。

太平洋戦争は、当時の日本の経済力を遙かに超えた戦争であり、通常の手段では戦費を調達することは不可能でした。戦費の大部分は、日本銀行(日銀)の直接的な国債発行によってまかなわれました。この過程で、日銀は制約なく国債を引き受けることとなり、これがインフレを引き起こす要因となりました。終戦後、このインフレは準ハイパーインフレとして爆発しましたが、戦時中から物価水準は急速に上昇していました。

さらに、日本軍は占領地域に国策金融機関を設立し、現地通貨や軍票(一種の約束手形)を乱発して、無謀な戦費調達を試みました。これにより、アジアの占領地域では日本をはるかに上回るインフレが発生しました。占領地域のインフレ率が高まった一方で、名目上の交換レートは従来通りであったため、書類上では占領地域の軍事費が過度に膨れ上がることとなりました。

したがって、これらの戦費を実質的な価値で計算し直すと、その経費はもっと少ない数字になる可能性が高いでしょう。一般的な見積りに従うと、日中戦争以降の国内インフレ率を考慮すると、およそ2500億円程度と見積もられます。さらに、占領地のインフレ率を国内の1.5倍と仮定すると、約2000億円となります。

残念ながら、当時の日本は国家総動員体制下にあり、正確な物価水準を把握するための十分な統計データが利用できませんでした。したがって、さらに正確な数字を算出するのは難しい状況です。ただし、おおよその戦費としては、2000億円程度と考えて誤りはないでしょう。

この見積もりに基づく戦費総額は、GDPとの比率で約8.8倍、国家予算との比率で74倍となります。先ほどの数字に比べればかなり小さいですが、それでも膨大な金額であることは明白です。現在の価値に換算すると、約4400兆円もの費用がかかったことになります。

国債の運命とその背後にある複雑な事情

これらの国債は、戦時中は抑え込まれていたインフレーションが戦後に急激に高まることとともに、戦後の金融政策により償還されたり、一部は強制的に消滅させられたりしました。

国債は国の債務であり、一方で国民にとっては金融資産でもあります。一般的には、国債が償還されれば国としての財政は健全であるとされますが、その背後には国民の犠牲があったことは否定できません。

財務省の公式サイトによれば、「大東亜戦争割引国庫債券」の例を挙げると、これは「元金の全部償還をする国債及びその償還期日指定(昭和26年大蔵省告示第1402号)」により、昭和26年12月1日に繰り上げ償還されることとされていました。また、「国債ニ関スル法律」第9条では、国債の元金の消滅時効は10年と定められており、昭和36年12月1日には消滅時効が完了することになっています。

さらに、「賜金国庫債券」の場合、昭和21年4月1日以降の支払い日に関連する元金と利子については、法令によって消滅時効が完了する前に無効とされています。

米国の戦争負担と基礎体力

さて、太平洋戦争において米国はどのような状況で戦ったのでしょうか?この戦争は米国にとっても巨大な戦争でしたが、日本と比べると相対的な負担は軽かったことが注目されます。

米国の第2次世界大戦の戦費総額は約3000億ドルでした。開戦時の米国のGDPは920億ドルであり、これに比べると戦費はGDPの3.2倍に相当します。重要なのは、米国が太平洋戦争と同時にヨーロッパで対独戦争を戦っていたことです。つまり、米国は2つの非常に大規模な戦争を同時に遂行していましたが、それでもこの負担が軽かったことから、米国経済の基盤の強さがうかがえます。

ちなみに、第1次世界大戦の際、英国が投じた戦費総額も当時のGDPの3.8倍程度でした。国家の存亡を賭けた全面戦争においても、無制限に資金を投じることはできないことを示しています。GDPの3倍から4倍程度が、無理なく全面戦争を遂行できる限界であると言えるでしょう。

この観点から見ると、太平洋戦争は最初から達成不可能な戦争だったという解釈が避けられません。

興味深いことに、ダイエー創業者の中内功氏が徴兵され戦地に赴いた際、日本軍が飢えに苦しむ中、米兵が基地内でアイスクリームを自由に食べているのを見て衝撃を受けたという話は広く知られていますが、数字上の基礎体力差が日常の光景にも影響を及ぼしたことが示唆されます。

歴史の教訓と現実

歴史を振り返り、現在の視点から当時の意思決定を批判することは容易です。しかし、同時に歴史は繰り返すとも言われています。

「戦争は他の手段を持ってする政治の継続である」という言葉は、戦争論家クラウゼヴィッツの有名な言葉ですが、政治や外交の最終的な焦点もほぼ常に経済に向かっています。言い換えれば、戦争も日常の経済活動の一環と言えるでしょう。

実際、各国の戦争遂行能力は、国内総生産(GDP)に比例しており、経済力を超えて戦争を遂行することは不可能です。太平洋戦争は、現実を無視して結果的には日本経済を完全に破綻させることにつながりました。この歴史的事実は、教訓とすべきものですが、規模は小さくとも、同じ過ちを繰り返していることを考えると、まだまだ学ぶべきことがあります。

シャープの液晶への投資や東芝の米ウェスティングハウスの買収には、当時から多くの専門家が無理だと指摘していました。しかし、勇ましい姿勢や信念が現実をかき消し、社会的に共有されないまま進みました。

国からの多額の支援を受けた日本ディスプレイも、予想通り経営が難しくなり、大規模なリストラクチャリングを余儀なくされました。太平洋戦争の失敗が、見えない形で今もなお影響を与えていることを思い知らされます。

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この記事を書いた人

株式会社シュタインズ
「テクノロジー×教育の研究開発」を事業の基盤に、現在は金融教育サービス事業「Moneychat(http://moneychat.life/)」の企画と開発を進める。

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